「音楽家」です。
というと一部の人に聞かれるのが「有名なの?」という言葉。ここには「オレはおまえのこと知らんが...」という意味合いが、当然含まれています。
そこで「有名」である事の意味を考えてみたいと思います。
有名という幻想
「有名であることが重要なんですか?」と聞くと、必ず返ってくるのが、
「有名だとお金がたくさん儲けられるでしょ」という言葉です。
そして、
「その有名というのを利用して、どうやってたくさん儲けられるかご存じですか?」と聞くと、
「有名だと簡単に人をたくさん呼べますよ!」と返ってくるかもしれません。
では、
「どうやって簡単に人をたくさん呼びますか?」
「広告出して宣伝します!」
「マネジメントとマーケティングの違いはご存じですか?」
「...」
結局「有名人はお金持ち」程度の認識でしか話をしていません。そこから先のことは何も考えていないし、まったくもって適当です。
知ったかぶりの人たち
世間には「知ったかぶりの人たち」がたくさんいます。また、相手の弱みにつけ込んで「わざと」嫌がることをいってきて、自分が優位に立とうとする浅ましい人もいます。さほど有名でない音楽家に「有名か?」と問うことで一般大衆からの優位性を確保しようとしている人たちです。
そんな人たちの発言に深い意味はありません。何か有意義な回答を用意しているわけでもありません。ネガティブな空気を操って一時的にでも自分が優位に立ちたい人たちです。話の中から問題解決をする意思など初めからない連中です。
こういった人たちの対処法はよほどのことが無い限り、とりあえずカタチだけでも同意しておいて、納得したのを見計らって無視するのが1番良いです。冒頭のように意見すると際限なく絡んできます。それは正しい答えを見いだすために議論しているのではなく、自分が優位に立つためだけに話をしているので相手にしないのが安全です。
関係性というツールのひとつ
さて、「有名である必要があるか」というと、何者か知られている方が都合が良いというのは事実です。
たとえば医療関係者なら、身体が調子悪くなったときに真っ先に思う浮かべてもらえるような関係性を作っておく事は重要です。音楽家なら「この手の音楽を演奏、または制作するならこの人」のような関連性の構築を普段から行う努力をしないといけません。
これらの関連性を誰もが知っている大衆レベルまで確立したものが「有名」であるということと思いいます。
使い方を間違うと
「有名」である事はものすごくパワフルです。誰も知らないよりは良いに決まっています。それは音楽家に限らず、起業家でも同じです。しかしそのツールの使い方を知らずに「有名」だから何でも簡単にできると思うのは「あさはか」としかいいようがありません。
目的地まで「徒歩」でいくようなとき、「有名」である場合は車で行くようなものです。
しかし、「有名」という車を持っていても、地図も持たず、もっと恐ろしいのは運転の仕方も知らず、「有名」という車に乗って突っ走ることです。下手をすれば大事故を起こして死んでしまいます。そうやって消えていった有名人はたくさんいます。
間違った価値観
実は音楽家や作家の中にも間違った価値観を持っている人がたくさんいます。
つまり「有名」である事が何をおいても大事としている人たちです。ハッキリと口に出している人もいますし、表面上はそうでないように装っていますが、行動はまさに「有名」である事を第一主義としているのがわかるひともいます。
職業上「名誉欲」や「上昇志向」はあってしかるべきですが、そこ部分ばかりにこだわると「浅ましさ」ばかりが目立ちます。それでも、そういう人の中にはある程度のステイタスをつかめる人もいますので、その人を自分自身のモデルとして追いかける人もいます。
あえて、そうしたい人は止めませんが、そのことについて少し検証してみたいと思います。
上昇志向の強い人の特徴
こういう人の特徴のひとつとしてあげられるのが、人をランク付けしたがることです。そして最悪なのが、自分が値踏みした相手のランクによって態度をころころ変えます。
また自分を上のステイタスを引き上げてくれる人以外は眼中にありません。「自分を必要とする人」ではなく、常に「自分を引き上げてくれる人」に目が行っています。どれだけ表面上はきれい事を並べていても、すべては自分の踏み台なのです。
自分の人生を「ドラマ」のようにとらえていますので「次のステージ」といったような表現もよく使います。キャッチコピーではなく芯からそう思っているようです。ここで気をつけたいのが、「次のステージ」にいくために容赦なく人間関係を「断捨離」します。継続して利用できる関係以外の人間関係は単なる踏み台か切り捨てなのです。
それで一握りの人はうまくいきますが、たいがいはうまくいかないことが多いです。
こういった人はいつまでたっても「自分の中の渇き」を癒やすことは出来ません。
それはのどが乾いた人が海の水を飲んで、さらに渇きが増すようなものです。
ちょっとした僥倖に大げさなほど喜びますが、数日すれば元の自分に戻っています。ほとんどの場合、身近な人に「愚痴」をこぼしていることが多いです。他人が自分の事をわかってくれない云々が多いです。最近ではSNS等にこぼしている人も見かけます。残念ながら誰も共感してくれません。
共感ではなく支配することが唯一の目的だからです。他人を支配することで頭がいっぱいで、自分自身を支配することを忘れているのです。
こういう人たちは悪い人ではありません。心が弱いだけなのです。
ドラマ「This is US 36歳これから」の登場人物、俳優のケヴィンは典型的なこのキャラクターです。俳優さんもこの人物を「ひとりの人間」として見事に演じています。興味ある方は是非一度ご覧下さい。
有名であるより前に
「有名」である事よりも、「有名であるより前に」を知っておきたいです。
それは自分が何者であるか。
有名であるより前に「自分が何者であるか」を自分自身が知り、必要とする人に知って貰うために努力することです。
これはブランディング以前のものと思います。自分が何者であるかを真っ先に思い浮かべて貰えるように、身近な人たちから関係性を構築していくことです。そして信頼関係を結びましょう。
そして相手が何を求めていて、そのために自分は何が出来るか。自分自身の持っているもので相手に最高の気分を味わって貰うことが出来るのか。自分自身、相手が何かを求めているときに本気で取り組むことが出来るのか。
それらを理解し公言するすることで少なくとも、アナタのことを知ったアナタを必要とする人が、何らか申し出をしてくることでしょう。有名である前に自分自身を知り、他者を思いやり、自分の事を知って貰う、そうやって関係性を構築する。
まずはスタート地点に立つことが大事ではないでしょうか。
お金という尺度で測る浅はかさ
有名だとお金が儲かる、というのはとても次元の低い話です。
現在何らかのポジションにいる人は、他人との協調性の中で努力を繰り返し行った人たちです。つまり何もせずに「有名」になったのではなく、努力の結果「有名」になって今の地位を築いているのです。人の嫌がることや格好の悪いことも進んでしたかもしれません。自分の事を理解して貰うために努力を惜しまなかった人たちです。その結果、お金持ちの人もいます。
努力して自分の地位を築いた人に共通するのは、そのプロセスで得られた人と人との信頼関係です。お金で道具や安心は買えても信頼関係は買えません。お金があれば何でも買えると思うのは間違いですし、そんな人は大金を持ってもすぐに全部使い果たしてしまいます。
有名である必要はあるのか
先に書いたように「有名」である事はパワフルなツールです。持っていて使い方を知っていれば、大いなる価値を引き出してくれるでしょう。
しかしそれは、自分の価値を知った上で誰かに奉仕することで真の価値を発揮します。「無名」の状態から手に入れるプロセスで得た人が、「有名」という立ち位置からさらなる「自己の価値」を見いだすことが出来るのではないでしょうか。逆にそこに至るプロセスを怠っている人が、ちょっとした運だけで一時的に有名になっても何ら価値のないものなのです。
それはお金の価値を見いだせない人が、大金を手にしてもすぐに使い切ってしまうように、自分自身のステイタスも泡のように消えてしまうでしょう。
有名である必要はあるのか...
まずは自分自身が何者で、誰かに必要とされ、そのために全力で人の役に立てるのか、そのことすら知らなければ、「自己満足」以上の価値を見いだすことは難しいと思います。
夢中でそのことに取り組んでいれば「有名」であるかどうかということすら、もうどうでもよくなってくるでしょう。
いろいろえらそうなことを書き連ねましたが、自分自身、自戒の意味を込めて毎日精進していきたいと思います。
補:マーケティング戦略
マーケティング戦略の観点から見ると、
「名声」は「信頼関係」より優先される
という考え方もあります。これは一般大衆をターゲットとしたときに「有名」であるほうが、より信頼されるということですね。一般大衆からすれば「ブランド品」のほうが「ノーブランド品」よりも信頼度が高いということです。
だから何を置いても「有名」である事を優先すべきという考え方もあります。有名であれば勝手に信頼度もついてくるという考え方です。また「名声」を得ることだけにフォーカスしたマーケティング戦略というのもあります。
ただし、最初のスタート地点にすら立っていないものが、戦略だけに頼っていると失う物は大きすぎます。
それは自分自身です。
「有名」という事を戦略として使うのなら、「一般大衆」やそれに準ずるような考えの「業界関係者」をターゲットとすることになります。信頼関係は有名でなくなれば失われる可能性のある人たちです。
製品やサービス売り込む起業家ならまだしも、自分自身を売り込むアーティストの場合は特に気をつけるべきです。大衆というものは移り気です。ある程度のターゲッティングは必要ですが、最初から大衆を対象とする作品を作ることが自分のやりたいことかも考えるべきかと思います。
自分自身との信頼関係が築けていない場合はさらに危険と思います。自分が信頼できないような状態で「大衆人気」に頼っていると、大衆の興味がしぼんだときに新たな気持ちで盛り返すのが大変です。セルフマネジメントと創作活動を行っているアーティストにとっては精神的負担も大きいです。
補:マネジメントとマーケティング
さらに追記項目としてマネジメントとマーケティングについても少し触れておきます。最近、よく耳にする言葉ですが両者の違いを理解できていない人が音楽を生業にする人に多いです。
マネジメントとは簡単にいってしまうと自己管理です。
演奏家でいうと日々の練習、楽器のメンテナンス。作詞作曲家の方々は著作権の知識と管理(自己管理かJASRAC信託)。音楽家としての立ち位置をしっかり確保することです。今回の記事の内容はこちらに属します。
まずはマネジメントしっかりしてから、自分自身の「技術、信頼、収入」を確保することが大事です。
そしてマーケティングは簡単にいってしまうと外に対して。
自分の音楽を聴いてくれるオーディエンス、市場、世間の動向、こういった環境を自分の作品と照らし合わせながら戦略を立てていきます。「有名」である事はこちらに属する内容です。
マネジメントすら出来ていない音楽家がマーケティング戦略で成功した結果、「人の心に残る音楽」とは別の物が市場にあふれることもあります。実際、そういったマーケティング戦略で成功した「音楽ビジネスのモデル」も存在します。プロデューサー主導型のアーティストですね。あえて名前は挙げません。ご想像にお任せします。こういったアーティストは話題性がなくなると消えゆく運命です。プロデューサーが別の駒に置き換えるだけです。
有名である必要はあるのか
という冒頭の質問も、マネジメントとマーケティングの違い理解していれば答えは簡単と思います。
まずは素晴らしい作品を作ること(マネジメント)、次にそれを広める戦略を練ること(マーケティング)、音楽家にとってはこのことを理解しておくことも大切なことではないでしょうか。
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この記事を書いた人
[Music Freaks]
日々、ピアノを弾くことで生計を立てています。アコーディオンも弾きます。そしてひたすら音楽製作してます。人の多い場所と鈍感な人、苦手です。音楽と共に生きてくことは愉しい、すべての人がそう思えるような世界を考えていきたいです。
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