令和2年 明けましておめでとうございます。
新年というのは日本人にとって格別な思い入れがあるように思います。生まれ育ってくり返し見てきた「お正月」という景色。ひんやりした空気の中にも身の引き締まる新たな気持ちをこの時期に感じます。すべての人が己自身を一新させてスタート地点にたつような感覚です。
2019年を振り返って
昨年末にブログに2019年を振り返ってという記事を書きました。
思うにここ数年は自分にとって試練の年であったように思います。様々なネガティヴな経験が身の回りに起きました。そしてその経験の中から大切なことは何かということを学びました。2019年はまさにその締めくくりのような年であったように思います。
2020年 覚醒
2020年の自分自身のキーワードは「覚醒」です。
こういう書き方をするとまた何か大風呂敷でも広げるのではないかと思われがちですが、そんな大それた計画があるという話とかではありません。
音楽家というもの
音楽家の「あるべき姿」のような世間のイメージは限定されています。
- たくさんの人に認知され拍手喝采を浴びること
- 作品が世に支持され常に注目を浴びること
- その道の大家に認められ多くの支持者を得ていること
もちろんそれに越したことはありません。マネジメントはとても重要です。ビジネスにおいて人を集めるということが最も重要な要素だからです。しかし表現者においてそこを第一主義としていると、ほんとうに満たされるべきものを見失うような気がするのです。
大多数に支持され喝采を得ているもの、誰もが褒め称えるもの、すべての人が同じように何の疑いも持たずに喝采を送ります。そのことに違和感を感じるのはほんの少数です。
何か違うんじゃないか...
私も長くそのことに違和感を感じながらも自分の中でうまく整理できていませんでした。
大衆というもの
YouTubeやSNSにおいてその答えを見つけることが出来ました。
そこには生々しいほどの大衆の息づかいがうごめいていて、普段オブラートに包んで遠回しにする表現や本音がむき出しで迫ってきています。常に怒りの吐き出し場所を求め、新しい刺激を求め、より多くの人が新しい何かを求め、人が集まるところへ引き寄せられます。その姿は明かりを求める夜光虫のようです。その夜光虫の群れに当然、自分自身も紛れ込んでしまっています。
しかし、そこにある明かりは真の光ではなく、我々の持っているものを吸い上げるための光なのです。
- 人が集まるところに人が集まる
- 集まったところに餌をまく
- 依存させながら手なずける
そのための手段の「ひかりもの」に過ぎないものを本物と思って集まってくる。もしかしたら、すでに麻痺してしまって本物かどうかもどうでも良くなっているのかもしれません。
このような世界だからこそ自分自身をしっかり持って、惑わされず何がほんとうに自分にとって大切かを見極める必要があります。そして表現者であるからにはそれを表現していくこと、そこをしっかり守り通していくこと、そのことに確信が持てるようになったからです。
私が「覚醒」と書いたのはまさにこの事です。
ほんとうに大切なこと
もちろん生きていくためには稼がなくてはいけません。そのために知恵を絞って生きていく必要があります。あるいは力のあるものに身をゆだねる必要もあるカもしれません。そういった生きていくために必要なことは恥ずべきことではありません。そこから正しい方向へと向かうことが大切なのです。
他人のための理想像
人は「他人のための理想像」を持ち続けて自らを苦しめていることが多いです。「他人のための理想像」に近づくために日々努力し、いつしかそれが自分の理想像と思い始めます。それを続けているうちは苦悩は去りません。
まずはこの理想像を手放すことです。
他人に求められることを考えすぎると自分自身がどんどん失われていって、中身がスカスカになっていきます。これは作品にもいえます。表面上はきらびやかでも中身はスカスカなのです。
だから自分自身を表現するモノを自分自身の真実の中から見つけることです。自分自身の中に真実がなければ何を作ってもスカスカです。敏感な人はその作品と向き合ったときに優柔不断な人間と対峙したときのような不信感のようなモノを感じます。
何かを表現してその結果多くの人に支持され、やがて「大衆迎合」したかのように見える作品もあります。また誰にも評価されず、ひっそりと表現者と共に息を引き取る作品もあります。
どちらであっても関係ないということです。
自分の思うように生きた結果から生まれたものの真の価値は変わりません。
世に身を置く
世の中の動きに過敏にならず、かといってそれを無視して愚鈍にもならず、冷静に自分のなすべきことを続けていく。その中で修正すべき点、人にゆだねる時、生きていくために必要なことにも知恵を絞ります。それを放棄して表現者が作品を作り続けることは傲慢である前に「無知で稚拙」なだけです。そこを放棄したいのなら、すべての表現を趣味とすべきです。
あるがままの自分でありながら世に身を置く。表現者である以上、誰かに真実を伝えるためには決して世捨て人になってはいけないのです。
世間と作品の間でバランスをとりながら自分自身を保っていくこと。他人の評価に惑わされず、自分の傲慢さに埋没せず、自分自身を保っていくこと。その結果生まれたものは、誰かの期待を担うわけでもなく作品そのものが光り輝くのです。
偽物の明かりではなく、ほんとうの明かり、
ほんとうの自分から生まれた作品からの光に自分自身の身をゆだねることが出来るのです。表現者が自分を磨き、作品を生み出すのはそのためなのです。
この記事を書いた人
[Music Freaks]
日々、ピアノを弾くことで生計を立てています。アコーディオンも弾きます。そしてひたすら音楽製作してます。人の多い場所と鈍感な人、苦手です。音楽と共に生きてくことは愉しい、すべての人がそう思えるような世界を考えていきたいです。
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