心が感じたままに

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小山田圭吾氏への醜悪感の正体

小山田圭吾氏の問題が話題になっています。一連の件に関して、殆どの人が醜悪感を抱いたのではないでしょうか。明らかに度を超した弱者への虐待。人として大切な何かが欠落しているのでは無いかと思わせる所行の数々。それを自慢げに語る。そしてこの件にまつわるまわりの対応。どれも醜悪せずにはいられません。

私自身音楽を生業としているものとして、この件について個人的な見解を語ってみたいと思います。

感じた違和感

小山田氏への連日のSNSでのバッシング、これに対してネットの集団リンチという人たちがいます。世の中のすべてが同じ方向に流れるのが怖いという理由で、あえて反対意見を言う人もいました。

音楽と人格は別?

「音楽と人格は関係ない」という人とかを見ると、言葉は悪いですが「頭悪いの?」と思ってしまいます。「人格は関係ない」、それを当てはめることができるのは「奇行」など、変人と言われる程度のもので、人として限度を超えた行いに対しては「人格」という言葉自体が不適切でもあります。

「人格」が存在する人間が、果たしてあのようなことが出来るでしょうか?「人」としての「格」が存在しないからこそ出来た悪行です。

擁護する人たち

小山田氏への醜悪感はもちろんですが、無責任極まる周辺の態度にはさらに違和感を感じます。

彼を擁護するような有名人や業界関係者がいます。このように世間を騒がせているような件に対して擁護する立場に回る場合、よほどの覚悟が必要です。しかし、彼を擁護する人たちの反応も醜悪感をもよおします。

世間と反対の意見を言ってみてただ注目を集めたかったのか、と思われるような発言内容。そして案の定炎上、後にあっさり撤回、形だけの謝罪ととにかく「軽い」のです。世間の風向きで簡単に手のひらを返す、この「軽さ」そのものがこの界隈に感じる違和感だと思います。こういう人たちが小山田氏のような人間を甘やかし続けてきたのではないかと思います。

彼らには虐待被害に遭った障害者の姿が見えていないのでしょうか。

中学生の時の話



人はそれぞれに他人にはわからない心の傷を背負っています。特に暴力や嘲笑によって受けた傷は、一生消えることはありません。そして小山田氏によく似た人間はどこにでもいます。

ここからは私自身の体験をお話しましょう。

なかよし学級

私は小学校の5年生の時に親の仕事の関係で田舎の学校に転校しました。

以前の学校ではクラスに一人必ず知的障害者の子がいて、常にその子をみんなでサポートしていました。学校や先生に強要されるでも無く、子供たちが暗黙のうちに自発的に行っていました。

新しい田舎の学校では知的障害者用の特殊学級が別にあって、普段はそちらで授業をしていました。そして週に一度ほど、普通のクラスに障害者を招いて授業をしていました。

特殊学級は「なかよし学級」という名称がつけられていました。

私が転入した初日に、明らかに障害のある女の子が教室にいました。「なかよし学級」が普通のクラスで授業を受ける日だったのです。理科の実験か何かを先生が見せるような内容だったのですが、生徒全員が実験している机のまわりを取り囲んでいる中で、その子だけが取り残されて輪の中にいませんでした。

以前の学校では、障害のある子には親切にするという習慣があったので、その子の手を引いて輪の中に入れました。私の中ではごく自然な行為だったのですが、まわりから何か異様なものを見るような目で見られたのを覚えています。

その後、新しい転校生(私のことです)は「なかよし学級」の女の子のことが「好き」だという噂が流れました。そこには明らかに侮蔑感が混じっていました。信じられないことに、ここでは「なかよし学級」という名称そのものが侮蔑の対象だったのです。

手に負えないクズ

この学校には手に負えないクズがいました。祖父が部落解放同盟の重鎮で過去に何度か学校に(ここには書けないような内容のの)クレームが来てから、学校の先生を始め誰も彼にきつく注意できなかったのです。そのことを本人も重々承知しており、やりたい放題でした。仮に彼をN男としておきましょう。

そして「なかよし学級」の女の子に私が気があると吹聴したのも彼でした。

どうやらN男は都会から来たピアノの弾ける男子がよほど気に入らなかったのか、ちょっとしたイヤミのようなものをいつもいって、ちょっかいをかけてきました。彼自身は小柄で腕力にも自信が無いので暴力的な害は無かったのですが、自分が気にいらない相手を裏で貶めたり、足をひっぱったり。反抗することのない知的障害者に暴力を振るったりしていました。まさに小山田氏がやっていたような感じです。

そして私はこのクズが大嫌いでした。

トイレで集団暴行

中学校へ行ってもN男は私に対して「なかよし学級」の〜を吹聴していたようです。

私もN男のことを軽蔑していたので、態度に出ていたのでしょう。

それは中学校3年生の時の起こりました。ワル集団の下級生にトイレに呼び出されました。そこにはワル集団の同級生ひとりと下級生5人ほどがいました。N男の姿はありませんでした。

トイレで下級生の一人がいきなり、

「おまえ足悪い癖に生意気やねん」

といってきました。実は私は子供の頃の病気で左足に障害があり、走ることが出来ません。彼が言うにはバスに乗るときに先に譲ってやったのに礼も言わずにいたことが気に入らなかったらしいのです。障害のあるものを見下しているこの地域にはさもありなんと、あまりの馬鹿らしさに思わず笑ってしまいました。

しかしそのことが気に入らなかったのか、後ろにいた同級生が、

「なに笑とんじゃー!」と罵声を浴びせて飛びかかってきました。

こちらの胸元をつかもうと突進してきたのです。私はとっさにその手を払いのけるつもりが、相手の指をつかんでしまったようです。その勢いで反対方向に指を曲げてしまいました。嫌な音がしたのですが、こちらも必死だったのでそのまま相手を突き飛ばしました。

見ると彼は血まみれになって、「痛い!痛い!」と泣き叫びながら転がり込んでいました。どうやら指の骨が折れたようで、さらに突き飛ばした拍子に手洗い場の角で鼻をぶつけて鼻血を出していたのです。漫画のような展開が目の前で起こっていました。

最初に文句を言ってきた下級生含め全員がフリーズ状態です。彼らをそのままトイレに放置して、黙ってその場を去りました。

ひとつタイミングがずれていたら、私が床に倒されて袋だたきに遭っていたかもしれません。後から知ったのですが、すべてを指示したのはN男だったのです。まわりを煽るだけ煽って自分は手を汚さず、人を傷つけようとしていたのです。

天国と地獄



あのときのことを今でも時々思い出します。私は格闘技の心得があるわけでも無く、あの時は本当に偶然運良く助かったようなものです。人ひとりが大けがをしていたので問題にはなりましたが、指を折ってしまった同級生も根はそんなに悪い奴では無く、仲直りも出来ました(彼は20歳前に薬物中毒で亡くなりました)。

しかし、もう少しで理不尽な暴力にあったかもしれないと思うと怒りに震えます。あの時の事を思い出すたびに、理不尽な出来事に対する怒りの煉獄が現れます。危害を加えられなかった私ですらそうなのですから、イジメや虐待で危害を加えられた人たちの心は常に地獄と共にあることでしょう。

小山田圭吾氏はイジメや虐待の実行犯だったのでは無く、裏で計画したり指示する側だったらしいです。まさにN男と重なります。そして権力という後ろ盾があることを良いことに好き放題していた部分も重なります。

そして「触らぬ神に祟りなし」というまわりの醜悪な姿勢。この部分もよく似ています。

私が小山田氏の件で醜悪感を感じるのはN男と重なる部分が多いからかもしれません。N男が今どうしているのか、生きているか死んでいるのか、幸せなのか不幸なのか、もうどうでも良いことです。

N男のような人間はどこにでもいます。しかし私は今、自ら作り出した過去の幻影の地獄には生きていません。音楽を作っています。それは限りなく天国に近い幻想です。

結局、天国も地獄も自分自身の中にある幻想です。

どうか地獄の幻想に悩まされ続けている人たちが天国という幻想にたどり着けますように。そう願って、私はこれからも音楽を奏で続けます。

この記事を書いた人

[Music Freaks]
日々、ピアノを弾くことで生計を立てています。アコーディオンも弾きます。そしてひたすら音楽製作してます。人の多い場所と鈍感な人、苦手です。音楽と共に生きてくことは愉しい、すべての人がそう思えるような世界を考えていきたいです。

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